命日─午前四時のコンビニエンス・ストア─

午前四時.辺りには強風が吹き荒れていた.吹きすさぶ風は冷たく,路上には枯れた葉っぱが散らかっている.強風によって空はとても濃密に澄んでいた.リゲル,ベテルギウス,そしてシリウス.東京の空にも,時に星はくっきりと輝く.もう冬か,と僕は思った.そしてその突風は,僕が6年と10ヶ月を過ごした関東平野の北端,那須野ヶ原の冬の原野に吹く風を思わせた.
冬学期が始まってから,僕は順調に事を進めていたはずだった.2限の授業にも出席し,課題は遅れる事は合ってもほぼ提出し,必要な授業では半分より前の席に座ってリアルタイムTeXコーディングでノートを取った.─これは,ちょっと前までは考えられなかったことだ─そして,合間を縫っていくつも WEBページを作った.しかし,その僕が何年ぶりかに持ち得たリズムのようなものも,会社の営業─それは得てしてそのようなものであるらしい─の方々が持ち込んだ無茶なスケジュールによって,先週から徐々に損なわれてしまった.

午前四時のコンビニエンス・ストア.僕は結局いつもここに帰って来る.「午前四時のコンビニエンス・ストア」は,僕に取ってとても象徴的で観念的な意味を持っている.僕はここで,蛍光灯に照らされた無味乾燥だがマズくはない朝食と,のむヨーグルトを買い,漫画雑誌を2,3冊立ち読みする.爽やかな室内音楽─この時間帯のDJの趣味は僕のそれと非常に似通っている─と自己との断絶的な乖離を仄かに感じながら,疲れた顔の店員や他の客と得体の知れないモノクロームの閉塞感を共有する.
僕は,自分がいつから自分が午前四時のコンビニエンスストアに捕われてしまったか考えた.「午前四時のコンビニエンス・ストア」は,とても象徴的で観念的な意味を持っている──

僕はそこでふと無惨に殺されてしまった愛犬のことに思い至った.考えてみると,それより以前に僕が午前四時のコンビニエンス・ストアに通った事はないように思われた.
「犬が殺されたので腑抜けになりました」実に馬鹿らしい発想だ.「事物」一つで「習性」や「性質」を片付けてしまうのは論理的ではない.
そういえば,そろそろアインシュタイン─その犬の名前だ─の四回目の命日かもしれなかった.
人は静かに狂っていく.一見普通に見える人間が,外見上はあまり変化を示さないままに,不可解な方向に動き出す.身近な者であっても,それを「普通」な方向に軌道修正するのはとても難しい事なのだ.アインシュタインの死はその犠牲のようなものだった.もちろんその犠牲によって修正が施されることは無く,事態はむしろ悪化した──
初めの疑問に立ち返ると,そもそも僕はそれ以前に高校を6,70回遅刻・欠席していて,やはりもっと本質的な問題を抱えているに違いなかった.コンビニエンスストアに関しても,これまた,狂っていってしまった人間の犠牲である所の,最寄りのコンビニエンスストアまで3キロもあるような田舎から街への引っ越しの直後に犬が死んだに過ぎない.いわば僕が都会の洗礼に抗えなかっただけだ.
その後,アインシュタインは何度も夢に現れる.僕の描く家庭のイメージの中には,必ず彼が含まれていて,夢の中の帰るべき場所には必ず彼がいるのだ.
だが,僕は彼の死に対して一度も涙を流さなかった.ただの一滴も.最初の疑問に本質的に答えるためには,こちらのほうが解答不可欠な補題であるような気がした.

逃避の先には何があるだろう?だが,20時間以上覚醒を続けている僕の脳は,それに関して思考を停止した.あるいは,既に「Nothing at All」であることが過去の経験から帰納的にQ.E.D.なだけかもしれない.
漫画雑誌を3冊読み終えた僕は,蛍光灯に照らされた無味乾燥だがマズくはないサンドウィッチとのむヨーグルトと2Lペットボトル入りのお茶を買って,象徴的で観念的な午前四時のコンビニエンス・ストアを後にして,強風の中へ歩き出した.左瞼が痙攣している.