eripmav

僕の体は確実に恢復へと向かっているようだった.体温はずっと37度5分辺りを推移していた.それは事故の衝撃が,そのまま熱エネルギーとなって僕の体に残滓として残っているかのような印象を与えたが,もちろん違う.体が必死に身体の修復にあたっているのだ.朝方は背中の骨が軋むような痛みも,夕方には大きな振動を与えない限り感じないようになっていた.
どちらかというと心配なのは頭の方だった.昨日の時点では,不用意に上や下を向くと世界がメリーゴウラウンドのように廻った.電車に乗っても言い知れぬ不快感が僕を襲った.
僕は献血をしようと思った.血を抜いた方が脳内出血の可能性が低まるのではないのか,という考えがそもそもの発端だった気もするが,なんのことはない,「次回献血可能日」ってやつを十日も過ぎてしまっていたからだった.僕はその日を常に心待ちにし,その日を過ぎると血が抜きたくて抜きたくて仕方が無いからだになっていた.その衝動は喫煙衝動より強く,食欲より少し弱いぐらいだ.僕はその快楽から逃れる事が出来ない.
こんな時に血を抜いて大丈夫なのかという疑問はもちろんあった.もとより僕はそのリビドーに抗えないのだから,そんな疑問は意味を持たなかったし,全力で身体の修復にあたっている今だからこそ,それはふさわしい気がした.僕にとって血を抜く事は再生の象徴だ.よく都会の人間は「自然」を求めて田舎に行ったりするが,男が流血する機会が極端に少なくなった現代,自発的に血を流す事はそれ以上に「自然」だと僕は考えていた.
献血の後には,足腰の無力感,立ち眩みが襲い,そしてからだは軽くなり,視界はクリアになった.うん,いつもどおりだ.しかし400mlという量に,僕は段々物足りなさを感じ始めていた.「もっと抜きたい」そうしたらからだはますます軽くなり,視界は限りなく透明感を増して行くのではないか.僕は毎月のように血を抜ける手段を真剣に考えた.帰宅した僕はすぐベッドに横になった.さあ再生の時間だ.
20時頃目が覚めた.そう,下にはもう一人再生を必要としてるものが眠っている.そろそろバイク屋の親父が来る時間だった.
親父と僕は6,7分間バイクのダメージについて語り合った.左フラッシャーはどこかへ飛んで行き,フロントフォークは曲がり,エアダクトは外れかけていた.左側面は全体的にアスファルトが爪痕が生々しく,ガソリンタンクは凹んでいた.金も時間も食う修理になりそうだった.
いつものことであるが,親父は僕が相槌以上の言葉を発すると,すぐ色を作した.「カウボーイビバップ」のメカニックまわりの設定・文化がオートバイのそれに着想を得ている事は言うまでもないが,親父は本当に「ワイルド・ホーセス」に出てくるドゥーハン(これも有名なオートバイレーサーの名前が起源だ,多分)そっくりだった.しゃべり方や外見まで似ている.スタッフの一人(メカニカルデザインで同話の脚本協力でもある山根公利とか?)がこの店の常連で,「実はこの親父がドゥーハンのモデル」という妄想は僕の中ではかなり現実味を帯びてきている.
かくして,TZR250 3MAは軽トラに積まれて僕の元を去って行った.「DONA DONA」の歌が僕の頭をよぎった.いとつきづきし,である.