抜け落ちた11時間

僕が僕の人生における意味での認知を取り戻したのは,おそらく土曜日の昼前になってからのことだった.すべての認知は記憶の上に存立している.壊れた玩具のように医者に同じ事を繰り返し尋ねる事が出来たって,自分の力で用を足していたって,その記憶が余さず僕の脳のどこかにある深い深い淵のような場所に落ちて行ってしまっていく以上,「それは『僕の』認知ではなかった」と言えるだろう.後悔は無かった.反省もまた無かった.それらは単純にケーススタディーと呼ばれるものであり,記憶の無い所にそのようなものが生まれようはずもなかった.
それからしばらく,程度の回復こそあれ,現在に至るまでも僕の記憶の楔は時間に打ち込まれる力弱く,その位置もブレて定まらないようである.確か昼頃に姉が来て一度去ったような気がする.そして14時頃,僕がこのツーリングの目的としていた合宿のマネージャに電話をした.
「天国からこんにちは」確か第一声でそんな挨拶をした気がする.もちろんリアクションは無かった.どんな時もユーモアを持つのはいいことだが,センスがなかった.そして,磯野貴理子に良く似た看護婦から聞いた,現在に至る僕の置かれた状況を簡潔に説明した.必要が無ければ周囲の人間には隠し通すように頼んだ.これからレクリエーションをしようと言うときにそんな話を聞いたら,誰だって気持ちいいはずが無い.
時は文字通り矢のように過ぎて行った.人間は時間を絶対的に認知する訳ではない,自分のクロック回数によって認知するのだ.つまり,僕のクロック周波数は著しく低下していた.
それから,(次の日だったかもしれない)CTスキャンとエコーというものを受けた.どっちの像か定かではないが,自分の脳の輪切り映像を見るという貴重な機会を得た.見た瞬間僕は驚きの声をあげた.僕の右脳が正中を通る鉛直線を回転軸として,時計回りに大きくズレていたからだ.しかし,それは異常でもなんでもなく,子供の頃からの就寝等の癖によるものらしかった.つまり,結果は異常無しだった.
姉が帰って来て,何冊かの雑誌と桜桃とバナナ,そして近所の有名なパティシェのプリンを買って来た.そのプリンはとても旨かった.姉は頼んだ漫画雑誌以外に所謂「モノ雑誌」を買って来た.この期に及んで「こんな機会じゃないと読まないだろうから」ということで僕を教育,あるいは啓蒙することを考えているようだった.恐れ入る.そして自分の男を使って僕の壊れたバイクに二人乗りして帰って行った.
その日その女からメールが来た.その時の僕にはどんなメールも福音のように感じられた.現金な言い方を許されるのであればタイミングが良かった.僕は彼女のことを考えながら眠りに就いた.何時間寝ても寝足りなかった.